
福山市内病院勤務
R.Tさん
本校で過ごした3年間はどんな学生生活でしたか
私が入学したときは、新型コロナウイルス感染症の影響で、リモート講義が多くありました。
はじめは慣れない授業方法や内容に戸惑いや不安がありましたが、その都度先生方が声をかけてくださったので不安なく通うことができました。徐々に制限が緩和していくと対面での講義や技術演習、筆記試験、臨地実習などが本格的になりました。
特に、看護師国家試験対策ではしんどいことや大変なことも多くありましたが、学生同士で声を掛け合い、時には息抜きをしながら乗り越え、充実した3年間でした。
本校を選んだ理由
地元である福山で進学したいという思いと、3年間で看護師として必要な基礎知識を学び、できるだけ早く臨床経験を積みたいと思っていたので選びました。
学生時代の学んだこと・経験したことが活かされていると実感した場面
3年間で学んだ病態生理はもちろん、なぜ?どうして?と疑問に思い、調べる力は、働く上で患者さんの異常の早期発見や自分の知識を増やしていく上で役立っていると感じます。また、患者さんとのコミュニケーションや声のかけ方など、臨地実習で指導者さんから教えていただいたことを今でも意識して行っています。患者さんから「ありがとう。安心出来る。」など言っていただけた時は学生時代の経験が活かされているなと感じます。

福山市内病院勤務
Y.Hさん
本校で過ごした3年間はどんな学生生活でしたか
私は社会人経験や自身の出産を経て看護学校に入学しました。社会人学生も多く、仲間と支え合いながら学べたことは大きな励みになりました。勉強は苦手でしたが、憧れの看護師への第一歩として、専門知識や先生方の臨床経験の話に興味を持ち、充実した学びの日々を過ごしました。実習では、教科書で得た知識が患者さんとの関わりを通して深まり、「患者さんが最も大切な教科書である」と実感しました。この経験は私の大きな財産です。
どんな事を大切に看護をしていますか
現在、母子の健康を守るため、助産師として働いています。妊娠・出産は女性にとって人生を大きく変える出来事です。出産に不安を抱えるお母さんや、身体的・精神的・社会的にリスクが高いお母さんが多くいる中で、出産一つひとつにはそれぞれのお母さんの思いがあります。その思いに寄り添うことが大切だと感じています。そして、何よりも一生懸命に産声を上げ生きようとする赤ちゃんの姿や、家族の絆が誕生する瞬間に立ち会えることが、私にとってのやりがいとなっています。

福山市内訪問看護ステーション管理者
N.Mさん
本校へ入学を目指している方へメッセージ
私は23歳で入学し看護師になりました。看護師になりたいという思いは、大切にしてもらいたいし、何歳になっても挑戦のできる環境が、この学校には用意されています。
看護師になるということは、勉強も実技も人間力も必要で大変なことだらけですが、目の前の課題に、先生や同じ志をもった仲間たちとともに取り組むことで、少しずつ成長し自分のなりたい看護師像になっていくことができると思います。
看護師の活躍の場は、増えており多様化しています。頑張ってください。
どんなことを大切にして看護していますか
私は、精一杯生きる人の力になる。と決めています。一人一人に考え方もありますが、生きてきた背景も、今の生活も思いも、取り巻く人たちも、異なります。まずはその人を知ること、その人にあった看護が何かと考えます。専門職として、頭の中では医療面も考えていますが、そのことに固執しすぎないように、本当の意味での寄り添うとは何かを模索しており、あなたがいてくれてよかった。と言われると、ありがたいなと思います。

福山市内病院看護部長
M.Kさん
本校へ入学を目指している方へメッセージ
これから看護師を目指す皆様
私は、平成4年この福山市医師会看護専門学校を卒業しました。
看護師を目指したきっかけは、「早く自立したい」と思ったからです。当時は准看護師養成コースへ入学し、「これからの時代看護師資格を取得しないといけない」と考え、この医師会看護専門学校の17期生としスタートしました。自分で進路を決め前に進んでいくことが大切です。
今の所在地に学校が移転し引っ越しに携わったことを懐かしく思い出します。その当時の仲間と今でも交流があり、私の財産です。勉強、実習ではお互い助け合い今の私が存在すると思います。
皆さんも、これからの学生生活を有意義に過ごしてください。
看護師としてのモットー
私の看護師としてもモットーは「人の話しを聞く」ことです。
立場上、さまざまな報告を聞くことがあります。一人の言い分をうのみにするのではなく、双方の言い分を冷静に聞くことで、状況判断が出来ます。攻めるのではなく聞くことです。
聞くには、自分が話す側より数倍のエネルギーが必要だと感じますが、聞くことで見えてくるものがあります。
「あの時、聞いてもらえてよかった、楽になった」と言われると、自分はそこまでの力はなくとも、そう思ってもらえて良かったと感じることができます。